雑貨風土
雑貨は美的なものですがアートであろうとしはしません。あるいは芸術的美点を備えてはいるけれども、初めから芸術品 であろうとしてつくられたものではありません。雑貨は芸術であろうとする 野心を持たないので、必ずしも機械と対立し、こ れを敵視するものではありません。一定のデザイ ンによって無限に大量生産しうる工業生産ではないが、同じ作品はただ一つ一回だけという一点物のコピー否定の態度をとることもありません。雑貨は無銘性を本質とす るものであり、私たちが美 しい、あるいは快いクラフトの作品を手にしたと き、その生産地はわかっても、製作者の個人名が わからないときに感じる一種の安堵感を皆さん経 験しておられることと思います。逆に名人だれそ れの作品とわかると、それを用具として気軽に使 うことに一種の心の制約を感じるからです。 できのよいスマートな工業製品が好まれるのは、 その安さと同時に無銘性の気やすさなのです。雑貨は美的であると同時に、人間の生活に用具として使用されるものという意味をもっています。雑貨が生活に役立つという意味は、日常生活のコモディティ=用具としてです。そして私達の 生活は経済と無関係ではありません。したがって、雑貨は単に美的見地からだけではなく、経済的見地をも含めて考えなければ十分とはいえません。
産業革命の後、ウィリアム・モリスがアーツ・アンド・クラフツ運動を興して以来、アートが立ち向 かい続けている矛盾、すなわち、手仕事を尊重すれ ばするほど、できあがるものの価格が高くなり、身の回りの小芸術は民衆の手から離れていってしまうのです。
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